実は、ぼくは映画大好き人間なのです・・。
便利に通わせていただいていたジストシネマが、ぼくの街から消えてしまいました・・(大変残念です)。
仕方なく30キロ離れた映画館に通っています。最近見た映画は、「アルキメデスの大戦」です。映画館で見なければならない映画もあるのです・・。音響と大画面、この迫力はTVなどでは味わえませんからね・・。(笑)
ぼくの映画好きはいつのころから始まったのだろう・・。
ぼくは先の大戦が終わってすぐに生まれた子供です。「ALWAYS三丁目の夕日」の時代ですね。笑笑///
貧しい時代でした、娯楽といったら映画でしたね。(TVはようやくで出始めた頃です・・。そこには、チャンバラごっこばかりしていた私がいました・・。
私の将来の夢はサムライになることでした・・。
高校を卒業して、京都の親父の会社に入社しましたが、そこから京都太秦大映撮影所に俳優志願したのです・・。(誰にも相談せずに・・)
そこから僕の「座頭市物語」は始まったのです。
そのころの大映は、通りを挟んで東映との時代劇最盛期を迎えていました。私が入った大映は、座頭市と、眠狂四郎で毎日毎日撮影で大忙しでした・・。
まるで夢の世界のようでした。夢がかなってサムライになったかのように・・三隅組とか田中組とか監督によって分けられた部署で働くのですが、ぼくが所属する自由映画人クラブは、ニューフエースとエキストラの中間的存在、やはりどこの世界にも規律はあります。毎日割り当てられた場所に、役に合わせたカツラを冠り、ドーランを施し、衣装さんが与える着物を着て現場に出るのです。(かわいいニューフエーイスの女の子もいてとても楽しかったです・・。)
そのころの大映のスターは、勝新太郎・市川雷蔵でした。毎日毎日同じような映画を撮るのですが、ほんとうに京都は時代劇のロケ場所には不自由しないところですね~。電線や電柱の見えない場所や、お寺や神社をお借りできるまさに時代劇天国です。
毎日同じスタっフや役者さんと仕事をしていると飽きますよね、そのため手を変え品を変えて東京からいま話題のゲストを読んで新鮮化を図っていましたね。
いつまでも続くだろうこの「時代劇黄金時代」。
そこにいた時には、分かりませんでした。まさか斜陽になるなんて・・。
まさか、この世界が斜陽になるなんて、、そのころ私はある綺麗で高名な女優さんにこう言われました「あなた、使われる方より、使う方になったら?」その言葉を契機にぼくは東京に向かいました・・。
東京で、ぼくは、映像の学校に入りました・・。将来「サムライ」ではなく現実的に「表現者」になろう・・。そう思いました。具体的に言えば、「自分で映画を作ろう」そう思ったんですね・・。
衝撃は、アッチょ~~~~ブルースリーの世界!!
東京 カルチャーショックで、びりびりショック‼
江戸時代から現代に送られた魂。今ぼくが見たい映画は「ワイルド・スピード」‼